1215

1: Egg ★
【元J得点王・オルデネビッツ氏インタビュー|第1回】盟友リトバルスキー氏の熱心な説得で来日を決意

今から26年前の1994年、ジェフユナイテッド市原(当時)で強烈な左足のシュートを武器に得点を量産し、Jリーグ得点王に輝いた男がいた。

フランク・オルデネビッツ。「オッツェ」の愛称で親しまれ、アルシンド(鹿島アントラーズ)やラモン・ディアス(横浜マリノス)、トニーニョ(清水エスパルス)ら並居る強力な外国人選手を押しのけて、得点王のタイトルを獲得したドイツ人ストライカーだ。
現在は現役時代に奥寺康彦氏らとともにプレーしたブレーメンでスカウトを務めている。創成期のJリーグを助っ人として過ごし、今もスカウトとしてアンダー世代を中心に日本サッカーの動向を追い続けている同氏に、
来日当時の思い出と現在の日本サッカーについて語ってもらった。

オルデネビッツ氏が市原に加入したのは、Jリーグ開幕から2カ月ほどが経った1993年7月。プロリーグが発足したばかりであることに加えて、代表チームがワールドカップ(W杯)に出場したことがなかった当時の日本は、
「サッカー不毛の地」とも言える国だった。ブレーメンでブンデスリーガ優勝を経験し、毎年コンスタントに結果を残してきた選手が新天地として選ぶような場所ではなかったはずだが、
ケルン時代のチームメートで先に市原でプレーしていたピエール・リトバルスキー氏の熱心な説得によって、来日を決意したという。

「リティとはケルンで一緒だったし、同じ部屋で生活していたこともある。それである時、彼から『日本に来てみないか』と誘われたんだ。リティは日本についてたくさん話してくれた。素晴らしい親友でもあったし、
それで単純に『分かった、日本に行くよ』と返事をしたんだ。ただし、自分がジェフでどういう役割を期待されているのかといったことは、全く分からなかったけどね」

実は市原に移籍する7年前の1986年に、オルデネビッツ氏はキリンカップに参加するブレーメンの一員として来日している。しかし、その時の滞在期間はわずか10日前後であり、
さらにホテルと練習場や試合会場の往復がほとんどだったこともあって、日本に関する予備知識は実質ゼロ。来日当初は日常生活で苦労することも多かったという。

「日本に来る前に、リティから日本で使うサッカー用語が書かれた4ページぐらいの量の単語集をもらった。それを飛行機の中で見て覚えながら日本に来たんだけど、日常生活で使う言葉は全然知らなかったから、
最初は買い物に行っても砂糖と塩の区別がつかなくて困ったよ。日本食はほとんど試してみたし気に入ったけど、納豆だけは難しかった。あと、ドイツ風のパンが手に入らないのも問題だった。
あちこち探し回って、舞浜市内にドイツの製法でパンを作っている店をようやく一軒見つけたなんてこともあったね」 


2: Egg ★
「カズは動きにキレがあったし、テクニックも素晴らしかった」
オルデネビッツ氏は日本のスタジアムの雰囲気に驚いたことがあったそうだ【写真:土佐堅志】

 当時のJリーグ、もしくは日本サッカー全般についての印象を尋ねると、オルデネビッツ氏はスタジアムの雰囲気にとても驚いたという。

「スタンドにいる観客の60%ぐらいは若い女性だった。そんな光景は、ドイツでは見たことがなかったから驚いたよ。あと、ジェフがホームゲームで0-3で負けてしまったことがあったんだけど、その時も試合後にスタジアムをチームのみんなと一周してサポーターに挨拶したんだ。それも経験したことのない出来事だったから戸惑った」

 今でこそブンデスリーガの試合でも、スタンドに女性や子供の姿をよく目にするが、オルデネビッツ氏が現役だった1980年代から90年代にかけては男性サポーターしかおらず、ホームゲームで大敗しようものなら彼らから容赦ないブーイングを浴びせられるのが当たり前。その殺伐とした雰囲気の中で戦ってきた同氏からすると、黄色い声援が飛び交い、負けても選手たちに優しい当時のJリーグの試合の雰囲気は相当特異なものに感じたようだ。

 また、「当時のJリーグで印象に残った選手はいたか」という質問には、「1人だけいたよ。たしかまだ現役でプレーしていると聞いたけど……」との答えが返ってきた。「それはカズヨシ・ミウラのことですか?」と聞き返すと、「そう、カズだ!」と言って、“キング・カズ”こと三浦知良について語ってくれた。

「カズは動きにキレがあったし、テクニックも素晴らしかった。本当に良いストライカーだったし、『絶対にゴールを決めてやる』という姿勢を前面に出してプレーしていた。他の日本人FWは、チャンスの場面で味方にパスすることが多いと私は感じていたのだが、カズは全く違った。貪欲にゴールを狙っていた。そこが他の日本人選手とカズとの違いであり、カズは当時の日本で最高のストライカーだった」

 Jリーグ初代MVPにして、53歳となった今もなお現役を続けるカズの若かりし頃の姿は、同氏の記憶に鮮明に残っているようだ。

5: 名無しさん@恐縮です
>>2
そう、結局これなんだよ
他の日本人FWと違ってカズは本当に「自分が点を取って勝つ」という強い意志を感じた
今の選手の方が技術的に優れていても、その部分を超える日本人FWはまだ出てきてない
高原が一時期凄かったけどそれくらいか

18: 名無しさん@恐縮です
>>5
というか当初はJのレベル低すぎて自分が点取らんと駄目だったせいやけどなw
カズは本職ウィングやしな
大事な時に点取れたゴンとかのほうが得点屋としては優秀だった

50: 名無しさん@恐縮です
>>5
もうそんな時代は終わったよ

中山、高原、久保竜彦、佐藤寿人、大久保、岡崎、本田、金崎、大迫、鈴木優磨、南野、小林悠、他にもいっぱい出てきている
鼻っ柱の強いFWたち

4: 名無しさん@恐縮です
オッツェか…この人メチャクチャ上手かったよな。

7: 名無しさん@恐縮です
オッツェ懐かしい

9: 名無しさん@恐縮です
得点王でベストイレブンに選ばれなかった唯一の選手だったっけ

13: 名無しさん@恐縮です
オッツェはヘディングが強烈だった印象

14: 名無しさん@恐縮です
93年でサッカー不毛の地て表現は明らかに間違ってる
キャプ翼以降サッカー人口が爆発的に増えて
2番目の人気スポーツだった

20: 名無しさん@恐縮です
スキラッチとかビジャとかは衰えてもやっぱ凄いな

21: 名無しさん@恐縮です
リネカーていたよな とっとと帰ったんだっけか

60: 名無しさん@恐縮です
>>21
Jリーグで活躍できないビッグネームは結構いるからな。
スペースで勝負するタイプやサッカー脳が良い奴ほど初期のJリーグは埋もれていった。
ピクシーも自分のレベル落とさないと周りが付いてこれないことを理解するのに1シーズン必要だった。

初期のJリーグは、アルシンドみたいにミドルが打てて、突破力かあるタイプが一番求められてた。

22: 名無しさん@恐縮です
ドイツとのパイプとかコネはこれからも続けてほしい
今もブンデスのおかげでいい影響がある

25: 名無しさん@恐縮です
そりゃあの時代は周りがアマチュアと大差なかったからな
技術面もメンタル面も

35: 名無しさん@恐縮です
初代得点王はディアス
これは一生忘れない

42: 名無しさん@恐縮です
>>35
初得点はマイヤーな

39: 名無しさん@恐縮です
ラモン・ディアスのゴール前での冷静さも日本人ストライカーに不足しがちな要素

44: 名無しさん@恐縮です
忘れすぎだろ

48: 名無しさん@恐縮です
リティ、オッツェ、マキは夢のトリオだったわ
超一流のフリーキッカーが左右いる破壊力

98: 名無しさん@恐縮です
>>48
その巻はマスロバルのことか
同時プレーしてたっけ?時期的にマスロバルは重ならない記憶だわ

99: 名無しさん@恐縮です
>>98
オッツェ、マスロバル、ハシェックじゃなかったかな

52: 名無しさん@恐縮です
ジェフが今、J2で長く中下位をさまよってるのは知ってるのかな

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1601047133/